兵どもが夢の跡



近所の河原です。
冬の寒さの訪れとともに、河原の芝生が少しずつ茶色くなってきていますね。

さて現在はこの様なのどかな風景ですが、戦国時代の末期(江戸初期)には、大きな合戦が行われました。いわゆる大阪夏の陣です。

前年の冬の陣で大坂城の堀を埋められ、城から出陣せざるを得なくなった大坂勢は若江方面とこの写真の地で徳川幕府軍を迎え撃ちました。
写真の地は奈良県との県境となり、奈良盆地からの2本の街道が合流する地点となっています。
又兵衛桜で有名な「後藤又兵衛」の作戦は
 【奈良方面より2手に別れ行軍してきた徳川幕府軍を各個撃破】
でしたが、徳川幕府軍(伊達政宗軍他)の到着が予想よりも早く、また他の大坂勢(真田幸村軍他)の到着が遅れたため、後藤軍は小松山に陣を敷き、孤軍奮闘むなしくこの地で討ち死にしてしまいます。

※小松山は写真の中央やや左、少し紅葉が見える小高い丘です。
 現在、小松山の右隣にある玉手山は市の公園となっており、後藤又兵衛公の碑があります。

後藤軍壊滅の後、ようやく真田軍が道明寺周辺(写真右手の川の分かれている辺り)に到着し、
伊達軍他を押し留めることに成功します。
この時の奮戦をきっかけとし、伊達家家臣「片倉小十郎公」は猛将の忘れ形見を迎えたいということで
真田幸村公の娘を娶り、真田幸村一族を保護していったということです。

そしてこの戦いの次の日、大坂城炎上とともに長らく続いた戦乱の世の中に終止符が打たれるのでした。


私の暮らしている近所で、約400年前に後藤又兵衛公や真田幸村公、そして伊達政宗公や片倉小十郎公など、戦国時代を彩った武将が往来したのかと思うと、とても感慨深いものがありますね。
ただ信号待ちの時に撮った1枚の写真ですが、思いもよらぬマニアックな記事となりました。
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コメント

兵どもが夢の跡
戦国時代は川を挟んで両軍が対峙していたんですね。。。
今にも騎馬隊が見えそうな景色ですね。。。
のぶたさんへ
そうですねぇ。この写真では大きな建物も写っていませんし、民家もあまり目立っていませんので、
当時の面影が残っているかもしれませんね。
私も甲冑を付けて、騎馬に跨り駆け巡ってみたいです(笑)
(戦いはもちろん嫌ですけどもv-398

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